2025年12月5日。 映画公開初日、新宿バルト9にて『みらいのうた』を観てきた。
観終わった直後の率直な感想は、「吉井和哉のごく個人的なお話を観たな」というものだった。
彼が病を乗り越えようとする姿、そしてTHE YELLOW MONKEYの「復活の日」。 正直なところ、自分はまだ吉井和哉ほど歳を重ねていないし、彼の心境をすべて自分ごとのように理解することはできない。「吉井さんは今そういう心境なんですね」という、あくまでも「いちファン」として、スクリーン越しに彼の生き様を目撃した感覚に近い。
けれど、映画の中のある言葉が深く心に刺さった。
傷ついていたんですよね。ロックを聴いてるやつは何かしらの傷を負ってないと聴かないと思う
思えば、私がTHE YELLOW MONKEYを聴くようになったのは、両親が離婚してからだった。 高校受験を終えた日に母親が姿を消し、母の友人づてに「お母さんは遠いところに行ったんだよ」という手紙だけが残されたあの日。
高校生活は暗い気持ちで塞ぎ込み、のらりくらりとその場凌ぎで過ごしていた。インターネットの世界だけが逃げ場所だったあの頃、ネットの友人に勧められて出会ったのがイエローモンキーだった。 T.M.Revolutionや椎名林檎、サザンオールスターズ……それまでも音楽には救われていたけれど、イエモン(特に後期やソロ)が持つ独特の「闇」は、当時の私の傷口に驚くほど馴染んで、沼にハマっていったのだと思う。
ロックにハマろうがハマるまいが、人は誰だって大人になるにつれて、純粋だった頃の自分を消耗させていく。 その過程で、心の拠り所として寄り添ってくれたのが、私にとってはロックだったのかもしれない。
今、私には3歳になる子供がいる。 私の両親はどちらも69歳を目前にして亡くなっており、自分に残された時間を思うと、子供と一緒にいられる時間はそう長くないのかもしれない、とふと感じることがある。
そうやって「命の期限」みたいなものを意識していたからこそ、映画の中で描かれた復活の東京ドーム公演は、あまりに圧倒的だった。 本当に神がかっていて、『ボヘミアン・ラプソディ』のラストシーンのような高揚感。死の淵を覗いた男が見せた、まさにロックスターの復活劇だった。
けれど、その舞台裏であれほど壮絶な喉のケアが行われていたとは。 「吉井さんなら大丈夫そう」「きっとなんとかして乗り越える」 そんな私たちファンの根拠のない信頼――ある種の甘えのようなもの――の裏で、彼はどれほどの恐怖と戦っていたのだろう。ガンの恐ろしさを軽く見ていたのは、吉井さんだけでなく、私たちファンもそうだったのかもしれない。
スクリーンの中の彼は、親の愛が足りなかった過去があったかもしれないけれど、今はEROさんやメンバー、そしてファンやロックンロールの神様に、これ以上ないほど愛されている人だとも思った。
それを見て、自分も子供にはたくさん愛を伝えて、寂しい思いをさせないようにしようと改めて思った。 自分に残された時間がどれくらいあるかは分からないけれど、だからこそ、今ある時間を大切にしたい。
映画を見終えた今、不思議と暗い気持ちはない。 傷ついていても、ボロボロでも、未来は続いていく。 これから先、彼がどんな「みらいのうた」を聴かせてくれるのか。その時を、楽しみに待ちたい。